2025.5.1
「合理的」は全体や本質をバラバラにし、「完全崩壊」か「再生」かの道へ導く
ん~~。
忙しすぎて、本編もこちらの独り言も書ける時間がなかなか取れない。
本当は書きたいテーマがあるんだけれど、今回はそのテーマはすっ飛ばそう。
横やりのように今瞬間に浮かんだことを忘れずにメモっておこう。
最近はメモって忘れることにしている。(笑)
いつも考えているテーマのひとつ、「合理的」。
管理人は合理的な家庭で育ち、どちらかと言うと合理的な考えを持っている部分がある。
だけどその「合理的」にはいつも疑問を持っていた。
果たして「合理的」は良いのだろうか?
いつもいつも、このテーマを考えていた。
合理的は、無駄なものを省き効率的にスピーディに物事を進める。
不必要なものは取り除いていくので、管理人の中で「切る」というイメージがある。
逆に、非合理的は無駄なものが多く整理されていないので効率が悪い。
とにかく色んなものが多くどれも必要と感じるし、意外なものが組み合わさって新しいものが生まれるので
管理人の中では「繋げる」というイメージがある。
つまり
合理的→切る、取り除く、破壊する
非合理的→繋げる、調和、新しいものを生む
と認識している。
こう考えると、合理的は役割もあるので悪くないとも思える。
が、しかし、合理的も度が過ぎると崩壊へとつながりやすい。
(もちろん、非合理的も度が過ぎると崩壊へとつながる。)
ここでは、合理的がなぜ崩壊へと進むのかを考えてみた。
合理的は、「時間」という限られた中で最大限の効率化を図ることを目的としている。
「時間」とは限りがあるもの。だから不必要なものはバサバサと取り除く。
感情を抜きにして容赦なく切っていく。
この「切る」作業は、誰かの意思のもとに行われる。
会社だったら社長だ。
個人だったら自分だ。
残ったものが、必要最低限のものになる。
この必要最低限は、本来大切にしてきたもの(本質)の喪失を意味する。
そうなると、その大切なもの、つまり本質は次へと繋げられなくなる。
例えば、お祭りなどの行事。
昔から伝統的に行われ準備段階からルーツ、風習、しきたりなど歴史に関わることを含め年配の方々から伝承で伝わっている。
しかし近年は資金不足、コロナ、少子化等社会問題で簡略化してきている。伝えるべき内容が伝わらなくなる。
そうなるとお祭りの本質がわからずに魅力は低下し、行事そのものの存在意義がなくなって来ている。
スーパーで買い物をしていても同じことを感じる。
生き残るためにはしょうがないのだけれど、物価高騰で企業は商品の内容量や質を下げている。企業の合理的手段だ。
内容量を少なくする企業はまだしも、原材料を変え品質そのものを低下させている企業には危機感を感じる。
その理由は、その商品が開発し発売されたころの開発者のこころが伝承されていないし、
開発のレシピだけでなく、豊富な知識や哲学や理念を大切にしていないと感じるから。
良い商品は必ず全体のバランスが良い。
原材料やその加工工程が見事に調和され、商品全体のバランスが良いから美味しいと思う。
1つ1つが深く繋がっている。
しかしここに合理的利益を追求すると、誰かの一方的な意思だけで取り除かれ
調和されていたものがバラバラ感へと変わる。
このバラバラ感が魅力を低下させ、本質が損なわれる。
そうなると、もっと売れなくなるんじゃないかな?
つまり、
「合理的」は、取り除くという作業で全体の調和を低下させ、1つ1つをバラバラに分解させる。
分解は本質そのものに影響を与え全体の魅力や調和が喪失し、崩壊へと導きやすくなる。
じゃあ、どうすれば良いか?
取り除く前に、一度全部を出すこと。
何が入っていて、どのようなバランスを保ち、どのように繋がっていたかを分析する。
そのうえで取捨選択をし、必要最低限でも必ず調和をとれるように工夫する。
とうことは、最終的には「非合理的」を取り入れるのね!!
なるほどね。
自分で整理してようやく「合理的」の問題点が見えてきた。
もうひとつ大事なこと。
合理的は崩壊させるからこそ、「再生」という別の視点もある。
バラバラになったものを見つめなおし、残ったものを繋げることで「新しい何かが生まれる」役目もある。
ただし、これは完全に崩壊していないことが前提条件。
合理的は、存続もできないほど破壊力を持っている。
存続ができなければ、「再生」の道もない。
お、怖いなぁ。👀
「合理的」は強力な破壊力をもち、「完全崩壊」か「再生」かの道へ導く。
また崩壊後は調和を必要とするから、最終的には「非合理的」へ舵を切る。
これもまた面白い発見!!
さてと、今日感じたことはメモったから、忘れよ~っと。(*^▽^*)
これも、合理的なのかも?
いやいや、このHP自体が非合理的かも?笑