2025.7.5
「無=ゼロ=無限大」が見えてくる。
考えれば考えるほど、
「有」と「無」は逆のように感じる。
これは、量子力学でも仏教の観点でもそう感じざるを得ない。
先に、「無」から説明すると、
「無」はプラスとマイナスの2つが重なり合って打ちしてゼロになった状態。
つまり対の2つの存在が既に「有る」ことを前提としている。
対の2つが揃っているからこそ「有」である。
※実際は2つ以上の対の存在があると思われる。
対して、「有」というのは、欠けている状態、もしくは偏っている状態。
つまり、対の2つのものではなく、2つのうちプラスかマイナスかの一方だけしかない状態。
2つのうち1つしかないから「無(い)」につながる。
1つしかないということは、「足りない」からこそ、引力が働くのかも?と思う。
だから、偏っている状態。
この有無の逆転を前提で考えると、
「無」は無限大ということに気が付くし、「対」というものが必ず隠されていると感じる。
無=ゼロ=無限大
数式でみると、
0(ゼロ)=+1-1+2-2+3-3+4-4・・・・・
ほらね、ゼロなのに、無限大に存在するでしょ?
それと、もう1つ感じることは
「有」は偏っている状態なのだけれど、
これは目に見えて存在しているというだけで「有」であり、足りずに偏っている状態なのかもしれない。
逆説的に言えば、まるで真空のように目に見えない、つまり存在していない状態のほうが
「無限な存在が既に有る」状態なのかもしれない。
例えば、対の夫婦が良好な関係ほどストレスフリーであり無限大の可能性が秘められている。
逆に夫婦仲が悪い状態は、何かが足りない、もしくは満たされていないからこそお互いに何かを外に求める傾向がある。
なんだか、分かり難い例えだわね・・・。(>_<)
ほかには、病気をしていない健康体の人は、各細胞が無数に存在し活発に機能しているからこそ
(病気が無いから)目には見えないし、行動に制限がないから無限な可能性や未来がある。
→病気が「無い」というのは、各細胞が「有る」状態であり、さらに無限の未来が「有る」状態。
逆に、病気になって目に見える状態(病気が有る)になったときは既に細胞が破壊されバランスが取れない状態。
→病気が「有る」というのは、細胞の何かが「無い」状態であり、一部の未来が「無い」状態である。
あはは~(*^-^*)
この話は、説明するのが難しいわ~~。
ただ「有無」の逆転発想ができるようになると、あらゆる可能性は広がるわ~~。
今日は、ここまでにしておこ~っと。